Bar KEIZは音楽を愛しています。
今日から不定期で、KEIZの愛する音楽を紹介していこうと思います。
記念すべき第一回目は、ビートルズのヘルタースケルターです。
ポールの作。
1968年7月18日録音されたものの、レコード化はされず、1968年9月9日にレコーディングをやり直すことになり、ジョージ・マーティンが休暇中だったのでクリス・トーマスが制作を担当した。
この作品は1968年11月に発売された2枚組アルバム「ザ・ビートルズ」(ホワイト・アルバム)に収録された。
凄い作品である。
イントロから音が分散気味に登場し、次第にポールの音圧のあるボーカルに集中していくその迫力。
1968年といえば、クリーム、ニューセードバーズ(レッド・ツェッペリン)、ジェフ・ベック・グループ、フリートウッド・マック等が競い合いながらハード・ロック・ブルースに技と実力のすべてを賭けて闘っていた時代だが、ビートルズのこの作品のモチーフもそのハード・ロック・ブルースあたりから来ているのは間違いないところで、実に興味尽きない話になっている。
特にポールの絶唱型のシャウティング・スタイルは抜群の才能で、この“ヘルター・スケルター”の説得力には異常なほどの効果を生ぜしめている。ブリティッシュ・ロックの真相に挑んだかのような“ヤー・ブルース”とこの“ヘルター・スケルター”こそビートルズならではの自信とゆとりのなせる技である、とも言えるのではないか。
ところで、この作品は新興宗教の開祖であるチャールス・マンソンの引き起こしたシャロン・テート殺人事件に関わりがあるとされ大騒ぎになったという経緯をもつ。
アメリカ人のヒッピーで、ロサンゼルスの新興宗教の開祖、チャールス・マンソンは「ヘルター・スケルターは螺旋状の滑り台のことだが、これには隠れた意味がある」と言っている。マンソンは、異常な教団をつくり上げ、その信者はマンソンを救世主として仰いでいた。
ビートルズの曲を聴いたマンソンは、ビートルズがハルマゲドンを予言していると信じた。マンソンの信じるところでは、「“ヘルター・スケルター”が現れたとき、“ロッキー・ラクーン”に率いられたブラック・パンサーが“ピギーズ”の処刑に立ち上がる」というもの。マンソンは、教団の団員を殺し屋として派遣し、映画監督ロマン・ポランスキーの妻シャロン・テートをはじめとして5~6人を殺害した。
ジョン・レノンは、マンソンについて以下のように語っている。
「どうかしている。ほかのビートルズ・ファンと同じで、曲に訳の分からない神秘思想を読みとろうとする。その話を聞いた時には、前にもあったことだけど、笑ってしまった。インテリの中には曲の意味を読もうとする者がいるし、象徴が好きな若い世代は象徴を見ようとする。もちろん、こっちも真剣にそうした役割の一部は果たしてるけど・・・。“ヘルター・スケルター”と人を刺すことと何の関係があるのか分からない。歌詞をちゃんと聴いたことなんてない。ただの音なんだから」。
マンソンは逮捕され、1969年に裁判にかけられ、投獄された。
その裁判の検察官、ビンセント・バグリオージとカート・ジェントリーが書いた「ヘルター・スケルター」がベスト・セラーとなった。次いでそれが戯曲化され、「ヘルター・スケルター」という題で2回に分けてテレビ放映され、「ホワイト・アルバム」からの数曲を流した。このアメリカ的発展にはビックリさせられる。ポールもジョンもそこまでは考えていなかっただろうに。
「ヘルター・スケルター」の音楽の方は、1976年の編集アルバムの「ロックン・ロール・ミュージック」と1980年アメリカで発売のアルバム「ビートルズ・レアリティーズ」に収録された。
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